会場限定特別映像も大好評だった
大須賀淳さんのよしりん独演会感想を
紹介しちゃいます!
皆様、あらためて独演会お疲れ様でした!
全体に渡って「独演会の振り返り会」が開けそうなほど色々な思いがありますが、特に印象的だった所を一つに絞ると「父親殺し」の部分でした。
これは自分の実体験と重なったがゆえの所も大きく、私も高校生の頃(状況は違いましたが)親父と初めて取っ組み合いになり、その時(向こうが泥酔していたのもあり)「あれ?」と思うほど簡単に組み伏せることができました。
その時の、驚きと怒りと屈辱が混じったような親父はの表情は今でも覚えていて、先生が言われていた「失敗した」という言葉はとてもわかる(むしろ、その先生の表現はとても優しい)と感じました。
その直後、高校卒業と同時に家を出て経済的にも完全に独立し、名実ともに「自分のものとしての自分の人生」、イコール(色々と迷走しながらではあるけど)「俺はこう生きるのだ」の道筋が始まったのだと思います(思えば、その時期はゴー宣を読み始めたのとほぼイコールで、あらゆる局面において、影響が様々な行動につながったと感じています)。
これを書いていて初めて数えてみたら、殺した時点での(「実際」にはまだ生きていますからね、一応(笑))親父よりも、今の自分の方が既に年上でびっくり。
何か自分語りばっかりになってしまいましたが、今回の講演は、何回も通読しているゴー宣スペシャル本のように、時折動画を見返してはその度に新たな発見を得ていく存在になるような気がしています。
それはやはり、独演というスタイルの持つ、ゴー宣と同じ私小説的な性質が大きく関わっていると感じました。
「ファンとして」ぜひ可能であれば年に一回は独演会があると非常に嬉しいですし、一人の公論サポーターとしては、それを実現できるために、あらゆる困難を廃するべく動いて行こうと決意が新たになりました。
今後の、公論イベントに関わる一つ一つのアクション全てを、「君たちはどう生きるか」への自分の答えにして行けるようズンズンと邁進したいです。
あの場面を聞いて、自分の「父親殺し」の体験を思い出した人も多かったことと思います(私もだけど)。
そして、思い出せるような「父親殺し」がないような人が、アンチ活動にせっせと邁進して人生を無駄に使っているのだなあとも思いました。
これもまさに「君たちはどう生きるか?」のテーマにぴったりの話でした!
あなたはどう聞いて、どう生きますか?